南予では宇和島バスさんも有力ですが、保内町、伊方町方面へ行くには伊予鉄バスですね。

地方局前バス停は廃止となるそうです。(宇和島バスさんの八幡浜地方局前は残る)

そして旧瀬戸町の三机まで行っていたバスがなくなるそうです。
すこし寂しいです。

2014.9.30夜になりました。最終バスを待ちます。予定時刻は6時 41分です。
午後6時41分です。

三机行きの最終バスが来ました。

車内特に変わりは無いですね。明日来なくなる気がしません。

三机まで行くと朝まで帰れなくなるので市立病院で降りました。

夜の岬へ向かうバス。
いってらっしゃいお疲れ様です。

三崎港までのメロディーライン特急便や伊方町役場までの便はそれなりに残るようです。
あるうちに乗っておきましょう!便利なので走り続けてほしいですねということです。
なくなると利用者の多さに気付く公共交通機関。
たかやま。
梅雨明けして、本格的な夏の到来ですね。
夏と言えば「海」ですが・・・、
久々に山道に萌えてみました。

(おっちゃんが、ビーチでカメラを
構えるのはまずいかと思いますので。)
今回ご紹介するのは、
県道234号「大洲保内線」です。

金山出石寺から長浜保内線を、
八幡浜方面に下りると、
大洲市平野への分岐点に出ます。
ココが終点です。

2kmほど走ると、
八幡浜市立日土東小学校があります。

昨年度の児童数は10名だそうで、
日土小学校と統合する計画もあるとか・・・。
日土小学校はステキな木造建築ですが、
少し寂しい気がします。

(以前ご紹介しましたね。)
集落を過ぎると、森林の中を進んでいきます。

昼間でも薄暗いです。
金山出石寺への最後の分岐点を過ぎると、
芸術的なほどに苔むした擁壁がありました。


標高345mの横野峠に到着です。


峠の傍には集落があり、ほっとします。

(知らない山道は、ドキドキとワクワクが
頭の中で交差します。)
あまり広くない田畑ですが、上手に利用されていました。


(若い柿) (小さな棚田)
お店らしき建物を発見しました。
「水車蕎麦きまぐれ」と書かれています。

水車が、心地よい音を立てて
回っています。

隣にも、建物が・・・。
「PIZZA house WHEEL」とあります。

覗くとピザを焼く石釜がありました。
毎月、第二・第四日曜日に焼いている
そうなので、またの機会にご紹介します。
平野町の中心部に入りました。
平野小学校・中学校が見えます。


(平野踏切に差し掛かる短軌道車)
県道234号大洲保内線は、左折し、
大洲市役所まで続きます。

(この県道は、連続雨量が100ミリに達すると
通行止めになりますので、注意しましょう。)
大洲城が見える場所まで来ると、
まるでゴールを祝ってくれているかのように
虹が架かっていました。

山道を走ると、探検家の気分が味わえ、
奥地の神秘ささえ感じてしまいます。
皆さんも山道に萌えてませんか。
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兄者

こんにちは。
愛媛西方圏にある「近代土木遺産」を
ご紹介します。
「近代土木遺産」は、幕末から昭和戦前期に
築造され、現存する近代土木遺産を、
社団法人土木学会が重要度や評価ポイントを定め、
2,800余りの重要構造物を選定したものです。
(県内には81の構造物があるそうです。)
今回ご紹介するのは、日本の近代土木遺産Bランク
(県指定文化財クラス)に格付けされている
「夜昼隧道(千賀居隧道)」です。
国道197号線を八幡浜駅千丈小学校から入って行きます。
場所はこちらです。↓
http://link.ocnmaps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.27.10.103N33.27.38.255&ZM=11
現在は、昭和46年に現在の夜昼トンネルが開通したため、
この路線は市道白尾夜昼峠線になっています。
途中には、建設中の高規格道路「八幡浜道路」の工事風景が見えます。
JRの夜昼トンネルも見えます。
また、夕陽が沈む八幡浜湾もきれいに見えます。
少し進むと現在の夜昼トンネルが見えます。
山間の集落を抜けると、千賀居トンネルに到着しました。
(千丈小学校から15分くらいです。)
場所はこちらです。↓
http://link.ocnmaps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.29.31.159N33.28.8.989&ZM=11
こうして見ると、延長が短い(延長17.0m)ことが
分かります。
この箇所は、先ほどの地図でわかるとおり、
勾配を緩くするため回りながら上っていく
「ループ」になっているのです。
(日本では、現役最古のループ構造トンネルらしいです)
トンネル内に入ってみましょう。
トンネルの側壁を見ると、煉瓦積みになっています。
煉瓦を長手だけの段、小口だけの段と、一段おきに積む
「イギリス積み」という方式だそうです。
上部は「長手積み」という方式だそうです。
このトンネルは、明治38年に完成しました。
周囲は竹薮で覆われ、苔むした煉瓦の間からは
植物が生えています。
一気に近代化を進めた明治期に、先進諸国の技術を導入し、
造り上げられた近代土木遺産を、大切に守っていかないと
いけないですね。
![]() ![]() | |
分 類 | 煉瓦トンネル |
延 長 | 17.0m |
全 幅 | 5.4m(車道4.8m) |
全 高 | 4.7m(有効3.5m) |
【おまけ】
標題は「近代土木遺産1」ですが、実はこれまでにご紹介した
記事の中にも選定されている遺産が3箇所あります。
御幸の橋(大洲市)
http://ehimekennanyohokubu.blog.fc2.com/blog-entry-35.html
弓削神社の参道橋(太鼓橋)(内子町)
ehimekennanyohokubu.blog.fc2.com/blog-entry-223.html
田丸橋(内子町)
ehimekennanyohokubu.blog.fc2.com/blog-entry-192.html
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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兄者でした。
早いもので、3月になってしまいました。
今回は、懐かしい「国鉄内子線」をご紹介します。
「国鉄内子線」は、予讃本線五郎駅から分岐して、
内子町を結ぶ全長10.3㎞の路線で、
大正9年5月1日に愛媛鉄道という私鉄により開業、
昭和8年10月1日に国有化され、
昭和61年3月3日に廃止されるまで運行されていました。
(盲腸線と呼ばれていたそうです。なるほど。)

(昭和47年発行 大洲市誌より)
現在は予讃線の一部に組み込まれていますが、
地方交通線に指定されているため、
内子駅-新谷駅間は内子線のままとなっているそうです。
それでは、国鉄内子線を辿ってみましょう。
![]() | 出発地点はこちらです。 「国鉄 旧内子駅跡」と 書かれた石碑がありました。 |
今では、立派な 「内子自治センター」が あります。 当時の面影はまったく ありませんね。 | ![]() |
ここから、五十崎町方面へ伸びる2車線の道路
「南京はぜ通り」は、旧内子線跡を利用して
整備された道路です。
![]() | ![]() |
![]() | 現在のJR内子駅です。 エレベーターを備えた 高架駅になっています。 |
駅前には、「C12形蒸気機関車」と
旧内子駅の「駅名票」があります。
旧内子駅から移動し、展示・保存されています。
![]() | ![]() |
この高速道路の 高架下が、 「旧五十崎駅」跡です。 跡形もありません。 | ![]() |
松山自動車道、国道56号線と平行して築堤があり、
ここには線路も残っていました。
![]() | ![]() |
ここは、映画「ダウンタウン・ヒーローズ」で、
実際に坊ちゃん列車のレプリカが走ったところです。
![]() | この先にテントが 見えますが、 行き止まりに なっています。 |
藪の反対側に、「列車注意」の 立て看板が ありました。 | ![]() |
当時は踏切があったのかもしれませんが、
今は蔦が絡まっています。
![]() | ![]() |
この辺りのレールは苔むしています。
まるで古い遺跡にいるかのような気がします。
![]() | ![]() |
お城のシーンのBGMが流れています。)
しばらく歩くと、 ツルガ池に 突き当たります。 鳥越峠にある、 有名な「峠たこ焼」 が見えますね。 | ![]() |
この先に、森の中の線路が残っているそうなのですが、
トラロープが張っており、鬱蒼としているので、
進むのを諦めました。
![]() | 「峠たこ焼」の裏から、 降りる道があります。 この辺りには、 廃棄物が投棄されており、 残念に思います。 |
これが、たくさんの人達を 運んだ線路なんですね。 静かに横たわって いるようでもあり、 何かを訴えて いるようでもあります。 | ![]() |
![]() | 奥に進むと、国鉄内子線で唯一のトンネル 「旧二本松トンネル」 があります。 入り口は、セメントで塞がれています。 |
最後に、国鉄内子線の起点だった「五郎駅」にやって来ました。 構内に、内子行きプラットホームの跡が残っていました。 | ![]() |
現在は、遺跡のように残っている「国鉄内子線」ですが、
かつて、漫画家の松本零士さんが少年時代を過ごし、
夜の旧内子線を走る列車を見て、
「銀河鉄道999」をイメージしたと言われています。
このような逸話を 聞くと、とても感慨深いものがありますね。
3年前、廃線をめぐり、当時の写真で懐かしむ
「旧内子線廃線ウォーキング」が開催されたそうです。
もし機会があれば、絶対参加してみたいですね。
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粉雪舞う中汗だくの兄者

肱川に、JRの肱川橋梁(全長269m)が架かっています。
予讃線には、全長200m以上の橋梁は4本しかないそうです。
まずは、伊予の小京都大洲の象徴である、
大洲城を背景に撮ってみます。
2000系TSE(「愛媛甘とろ豚」ラッピング広告列車)と、
単行気動車キハ32形(違っていたらすいません。) が、
走っています。優雅に見えますね。
近くにある八幡神社から撮影してみましょう。
八幡神社社叢は県指定天然記念物とされ、
南側の斜面は原始に近い状態だそうです。
木が邪魔と言ったら、罰が当たりそうです。
ちなみに八幡神社は、元禄11年(1698年)、
大洲藩第3代藩主・加藤恒公により造営された
大洲領総鎮守だそうです。
わんこも働き者です。
これは、意外な場所から撮ってみました。
好きな人にはわかると思います。
おまけで、一昨年の大洲まつりにおいて・・・
何だかアトラクションみたいですね。
私は、決して「鉄ちゃん」ではないのですが、
この橋を渡る列車を見ていると、和みます。
今回は肱川橋梁にこだわってみましたが、
鉄道写真を通じて、この地方独特の風景を
探していければと考えております。
良い風景をご存じの方は、ぜひ教えてくださいね。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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兄者でした。