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2013
09.07

白姫伝説 八尺(やさか)神社 筒描染 地細工紺屋若松旗店

八尺(やさか)神社」は、八幡浜市内から産業通り(国道378)を進み祇園橋を川上・真穴方面に右折してすぐ右側の農協営農センター手前の小高い丘にあり、そこに「白姫伝説」の言い伝えがある。

この神社は正式には、「神山王子森天王宮祇園八尺神社」といい、古文書によれば、奈良朝には既に現在地に御鎮座坐して地元矢野郷守護氏神として尊崇を集め、平家全盛の頃には隆盛を極めたと伝えられている。

 450年ほど前の戦国時代の八幡浜の状況は、現在の大洲城(当時は大津地蔵ヶ獄城)の城主宇都宮清綱が城を長男に譲って三男の房綱を連れて八幡浜市の愛宕山の上に位置する「萩森城」に来て大洲市の野田・平野地区と旧八幡浜市の千丈川から北側および旧保内・伊方・瀬戸・三崎町を領地として治めた。

一方、八幡浜の千丈川から南側は、摂津親宣が、現在の神山小学校の向かい側の「元城(現在、元城団地として造成され跡地はない。)があって当時の南方領を治めていた。

両者は宇和郷(宇和町)を治めていた西園寺氏の十五将の一人と言われているが、仲が悪くたびたび戦火を交え、元城城主の摂津実親は萩森勢との争いで討死している。

 

白姫伝説とは、八尺神社に藤原平の白姫という美しい姫がいて萩森城主の宇都宮房綱に嫁いだが、大洲の大野直之と高知の長宗我部の攻略で落城し、主人房綱と居を移していた父親が亡くなったため白姫は母親と元の八尺神社に帰った。

 その後、元城城主の摂津親安(実親の子)から城に上がれと再々懸想されたが、白姫様は「二夫にまみえず」と母親と共に自害して果てたという。

八尺(やさか)神社の先代の宮司、清家清(きよし)(平成5年亡)の奥さん清家ハルミさんによると、「現在の王子の森公園は、戦前は鐘紡の製糸工場で地元の酒六が買収(昭和28年)して酒六神山工場となった。

 昭和40年頃(推測)に行われた八尺神社前道路拡幅工事の際に、二人のお墓と言われていた辺りから2個の素焼きの小壺と赤さびた小刀が見つかり、当時の酒六の社長さんが工場の裏山で八尺神社の向かいの山頂付近に白姫様の祠を造り宮司が埋蔵し冥福を祈った。

 酒六の社長さんは従業員に白姫様の「二夫にまみえず」の貞操観を教えながらお世話していただいていたが、時代が変わりお世話する人がいなくなった頃、宮司(ハルミさんのご主人)は、白姫様が実家に帰りたいと言う夢を3日続けて見たことから境内に白姫様を祀る社(やしろ)を建ててのぼりを飾ったところ夢に出なくなった。」とのことである。

 なお、現在の王子の森公園(ソフトボール場、公園、遊具広場)になったのは昭和49年。(市のホームページによる)

 今回、清家ハルミさんから白姫様を祀るのぼりの作り替えの依頼が若松旗店にあったことでその伝説を知りブログにしたものである。

 

【八尺神社】

白姫様を祀った社(やしろ)とのぼり。八尺神社は八代中学手前の小高い丘にある。
白姫01白姫03

神社は大きな樹に囲まれている。
白姫04 白姫05
  

白姫06 白姫07
八尺神社    白姫様を祀った社(やしろ)
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昭和初めの八尺神社。 昭和20年頃愛宕山から見る八尺神社(右上)。
白姫10白姫11

 
昭和22年の八幡浜、中央下左寄りが八尺神社。完成間もない王子の森公園。
白姫12白姫13

 
戦後の写真。中央の山が八尺神社。その下が鐘紡神山製糸工場(現王子の森公園)

白姫14
(写真は若松旗店から借りた八幡浜商工会議所発行「八幡浜商工会議所百年史」を写す。)

 

【萩森城】

向灘から市内を望む。左丸が萩森城跡。右丸が元城跡。近い。歩いて萩森城跡に行く場合は愛宕山テニスコート横を上がる。
白姫15白姫16

 
慰霊塔左の階段を上る。市の給水塔(愛宕第3配水池)が途中にある。
白姫17白姫18 


上部が展望台になっている。給水塔からの見晴らしは最高。八幡浜市内。
白姫19白姫20

 
八幡浜湾。向灘。権現山。日の丸みかんの産地。
白姫21白姫22

 
しばらく上がると上水場の北側に萩森城跡の看板。でも城の主郭はここではない。
白姫23白姫24

 
 

萩森高綱が建立したという碑。昔は複数の建物からなる萩森神社があったとか。
白姫25白姫26

 
主郭は南側の奥の鉄塔がある山頂。四国電力の鉄塔。途中はみかん畑。
白姫27白姫28

  
 

頂上付近、木がなければ見晴らしはいいのだろう。古い石積みや土塁が残る。
白姫29白姫30

 
なお、看板がある萩森城跡には車で行くことができ、国道197号の大平地区から緑ヶ丘を通って津羽井に上がり右折して浄水場に向けて農道を走るのが簡単である。

 

萩森社之図(はぎのもりやしろのず)」これは200年前の文化11(1814)46日の祭礼の日に参詣した風流人が描いた「萩森神社真景図」で「でんや(店屋)」という売店も2軒描かれている。萩森神社は、落城後しばらくして城主の宇都宮房綱の霊を弔うために建立され、この図には「八幡浜大門まで十二丁」(1,308)と彫られた道しるべが見える。現在、市内の大門(大法寺前)には「萩森へ十二丁」の青石の大自然石があって大門からのルートが表参道で、常夜燈もあって夜も参詣人が多かったと推測される。土塁を築いた高台はかつては城主の住居であったろうが、境内以外は山畑に開墾されている。また、拝殿と思われる建物の裏手から参道を上がると奥の一番高い松林の中に萩森神社の本殿がみられる。(若松旗店で複製を借りて写す。)

白姫35

 
市内大法寺前にある道しるべ「萩森へ十二丁」と彫ってある。
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【元城】

元城跡地は今は造成されて元城団地となっている。
白姫31白姫32

 
団地の上部の空き地。 写真中ほどに萩森城跡の山が見える。近い。
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【筒描染作業】
下絵出し。(下絵紅で下書き)筒描き。(もち粉で作った糊を置く)
白姫38白姫41

 
この手法が伝統的技法の「筒描き」。糊部分は染色されず白く残る。
白姫45白姫42

 
米糠かけ。(糊が乾かないうちに米糠をかけて糊を覆う。)余分な米糠を取る。
白姫43白姫44

 
裏水引き。(表の糊を布の裏側まで浸透させる) 乾燥。
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染色。下引きの染料を塗る。水分を取るためおがくずをかける。おかくずを使うのは全国ほかでは聞かない。
白姫48白姫49

 
乾き具合を確認しておがくずを払う。上引きの染料を塗ると赤色に発色する。
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昔からの技法、染料で染める。おがくずをかけて余分な水分を素早く取る。
白姫52白姫53

 
乾燥。      乾いたらおがくずを払い落とす。
白姫54白姫55

 
水元。(糊と米糠を洗い落す。長時間を要す)乾燥。
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縫製。チチ(棒を通すところ)を縫い付ける。完成。
白姫58白姫59 



 

八幡浜市浜之町にある地細工紺屋若松旗店は、文政5(1822)創業で、五代目若松智さんが、江戸時代から続く「筒描染」の技法を用いて大漁旗、のぼり、神社紋幕、袢纏や、五つ鹿、獅子舞、御神楽の祭礼衣裳などお客さんの注文に応じて昔から続く作品を作っています。

また、最近では、屋外の五月のぼりを室内で飾れるタペストリーにするなど、日本古来の習慣・伝統を守るとともに創業当時から続く「筒描染」の技法を守り続けています。

この技法を使った染物は、「筒描染製品」として愛媛県伝統的特産品に指定されており、若松智さんは、「えひめ伝統工芸士」に認定されています。

今回、白姫伝説の話を聞いてから、戦国時代の八幡浜市の状況を調べて知ることができて大変勉強になりました。

 また、本ブログ中の記事は、昭和621123日豊予社発行の「萩森城奇談」を参考にさせていただきました。大変詳しく調べられて書かれたことにあらためて敬意を表します。

 なお、萩森城落城後、家臣らは高野地を経由して八幡浜市日土町福岡に逃げて敵の攻撃に備えたとのことで、奥様の留美さんがその上位家臣の萩森氏の子孫に当たることを聞き奇妙な因果関係を感じました。世の中、人がどこでどう繋がっているかわからないものだとあらためて感じたところです。萩森城奇談によると萩森城落城後も城主の宇都宮房綱は生き延びたとの説もありますが、白姫伝説は今後も語りつなげていく必要があると思いました。

By 「ひとりしずか」 でした。


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