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2013
11.13

幻の37番札所大黒山吉蔵寺:八幡浜市

Category: その他
八幡浜市の天神通り(旭町)に「大黒山吉蔵寺」がある。このお寺が明治から大正(昭和初期?)にかけての間(約50年?)四国八十八カ所の37番札所(現在の37番札所は、高知県四万十町旧窪川町)の藤井山岩本寺)であったことが、「高群逸枝(たかむれいつえ)」(1894-1964)の『娘巡礼記』で記されているほか、八幡浜史談会による調査・報告がある。

 八幡浜市は元々土地が狭くこの寺付近はかつて海であったが、大黒屋(屋号、油屋野本家から分家、大黒屋野本家と称する)の「野本家」が大規模な埋立土地造成した土地に大黒町の地名がある)に、明治18年(1885)に5代定固が「大黒屋吉蔵寺」を開山、創建したという。  

 高群逸枝は熊本県出身で、大正7年(1918年)の24歳の時、熊本を出発して約半年かけて四国八十八カ所を巡り、その様子を「九州日日新聞」に大正7年6月6日から12月16日まで105回にわたって連載した。
 高群逸枝は、大正7年7月14日午前3時に大分を出航し、佐賀関経由の「宇和島丸」で八幡浜入港。同日この寺に宿泊した。

 このときの記事に次の一文がある。
「不思議な事にはこの寺の皆さますべて熊本県の人というので何となく懐かしく思われた。この寺は四国三十七番の札所である。でもこのことは世人に多く知られていない。即ち三十七番は高知県の窪川にある藤井山岩本寺・・・いかにもこれが大師の旧蹟には違いない。でも古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。そこで四国には三十七番が両立している形になっているとの事、その由来についてお話を承わるとこうである。一体大黒山吉蔵寺という寺号は、大黒屋吉蔵という人の名から取ったもので、大黒屋といえば現にこの地での多額納税者として誰知らぬ者なき素封家であるが、今から三十幾年前この吉蔵なる人、夜臥床にありて時ならぬ鐘の音を聞き、不審とは思いしも、そのままにすて置いて翌朝例の如く早く目を覚ますと、家内の者が仏間にこんな物があったといって、持って来たのを見ると八十八ケ所の納め札で、住所氏名は書いてなくその枚数三十七。ここにおいて、さては三十七番の札所をどうかせよとの、仏の思召しかと考え先にいった岩本寺を調べてみると、見る影もなく衰微しているので三千五百円を以て、本尊と納経の版とを買いとる事に相談をつけ須臾にして建立したのがこのである。」

 大正7年(1918年)の三十幾年前というと明治16年?(35年前と勝手に推定すれば1883年)頃だろうか。明治18年に大黒山吉蔵寺が建立されたのであれば、その頃、当時衰微していた37番岩本寺から3,500円で本尊と納経の版を買い取り37番札所の権利を得ていたことになる。 弘法大師の札所の権利を売った方もすごい。

 史談会の方によれば、「5代定固は、吉蔵寺を岩本寺から札所の権利を取得して建立したのでなく、明治14年に地元の大法寺が焼失した際に大法寺の再建と引き換えに当時の大庄屋浅井家と同様院殿号戒名の吉蔵への発行を申し出たが拒否されたことから大法寺を離山して、明治18年3月に自ら造成した土地に寺院を建て、3代吉蔵定成の名を取って「大黒山吉蔵寺」とし、院殿号戒名をつけたのではないか、また、3代吉蔵定成は明治18年11月19日に亡くなり、5代定固は明治31年2月9日になくなっていることから、5代定固が岩本寺から権利を買ったのは、明治18年から亡くなる明治31年の間か、岩本寺が明治22年に再興していることから明治18年から同22年の間の可能性が高い」とのことである。

 また、史談会によると、岩本寺関係者から返還要求が出され、裁判の結果岩本寺側が勝訴したため本尊と納経の版が岩本寺に返還されたようであるが、詳しい記録がないため返還の時期は不明である。お寺関係者の話によると37番札所という看板は昭和39年(1969年)の東京オリンピックの頃までかかっていた記憶があるという人がいる。

 地元中津川の菊地久さんが保管する大正9年の納経帳にはしっかりと「第37番札所大黒山吉蔵寺」と書かれている。 
大正9年の朱印
右側から、奉納 大黒山 本尊無量寿仏  吉蔵寺
スタンプは、四国第三十七番札所 大黒山 弘法大師 壹千百年御遺忌記念 吉蔵寺 豫洲八幡浜町
日付けは、(大正)九年四月三十日
吉蔵寺01 
八幡浜市にある大黒山吉蔵寺の山門
37番札所01 
吉蔵寺本堂
37番札所02  37番札所03 37番札所04 
本堂に掛かっていた「大黒山」の扁額
37番札所05 
境内には九州から八幡浜へ上陸したお遍路さんたちが宿泊した宿坊も建っている
37番札所06 
山門の内側 
37番札所07 
大師堂 
37番札所08 37番札所09 
四国八十八カ所に関する碑
37番札所10  37番札所11  37番札所12 

 一方、岩本寺は、現在地より北西約3km先にある仁井田明神の傍に聖武天皇の勅願によって行基が福円満寺を建てたのが開基という。仁井田明神の別当職(別当寺)であったことから、仁井田寺とも呼ばれて、さらに六か寺を建てて、仁井田七福寺と呼ばれていたという。のちに巡錫した弘法大師が星供秘法の修行をして新しく五か寺を建てて、本地仏の不動明王、観世音菩薩、阿弥陀如来、薬師如来、地蔵菩薩の五本尊を祀った。先に行基が建てた七か寺とあわせて、仁井田十二福寺と称し、嵯峨天皇の勅願所として御領地を賜り、信徒もたくさんいて寺勢は盛んだったと伝えられている。

 天正時代に兵火等で寺社共に一時衰退してしまう。再建の際に、この地域の全ての神社を管掌下においていた岩本寺(当時は岩本坊)に、寺の法灯並びに別当職は遷され、継承される。戦国・江戸時代には武将や藩主等から寺領等の寄進を受け、神仏習合の札所として隆盛を誇っていたが、明治初期に起きた廃仏毀釈運動によって荒廃し廃寺になっていたこの頃、一時期ご本尊と納経の権利が売買されて八幡浜に移ったようである。神仏分離の政策で仁井田五社と分離され、五尊の本地仏と札所が岩本寺に統一され、それに伴う廃仏毀釈の法難に遭い寺領地の大半を失ってしまう。再建には苦難の道が続いたが明治22年(23年?)に再興した。しかし、大正2年までは無住職との資料もある。何と変動の大きい札所であろう。

四万十町に行った。岩本寺は窪川駅から徒歩10分、近い。
37番札所13  37番札所14 
山門(仁王門)を入ると左に手水場、右手に聖天堂、鐘楼があり、正面右手に本堂が建つ。本堂の左には水天宮、鐘楼の奥に大師堂がある。山門を背に左手に庫裏と納経所がある。
37番札所15 
本堂
37番札所16 
本堂には天井絵と五つの本尊か祀られる。新しいだけに、すっきりした明るい雰囲気がある。本堂の内陣格天井絵はおもしろい。昭和53年の新築の際、天井絵を全国から公募し、花鳥風月、人間曼荼羅、仏様や花があれば、マリリン・モンローもいる。575枚あるとか。個々の存在の輝きが、天井にはめ込まれている。
37番札所17  37番札所18 
大師堂と歓喜天(聖天堂)
37番札所19 
37番札所20 
歓喜天(聖天堂)木造でありながら円形の珍しいお堂。頭が像で身体は人間。財宝と博愛の神様?といわれる。
37番札所21 
宿坊
37番札所22 
納経所
37番札所23 
お接待を受ける。37番札所が一時八幡浜に移っていたことを知っているかと聞くも知らないとの返事。
37番札所24 

 次の札所38番 金剛福寺までは約87kmと八十八カ所の寺の間で一番距離がある。
 高群逸枝は、「娘巡礼記」によると、八幡浜のあと旧宇和町の43番明石寺、旧三間町の42番仏木寺と逆内(札所番号の反対回り)で高知県に向かい8月4日に高知県の四万十町(旧窪川町)の37番岩本寺も参拝しているが、岩本寺の詳しい記載はない。 八十八カ所遍路は、大正7年10月24日に八幡浜を出航し佐賀関に上陸して終了。そして11月20日に熊本県に帰っている。

 その後、高村逸杖は、平塚らいてうらと無産婦人芸術連盟を結成し、婦人運動に情熱を燃やし、女性史研究に没頭。「母系制の研究」などを発表し、日本の「女性史学」の創設者として新しい分野を切り開く。

 今回いろいろ調べると、焼失や明治の神仏分離政策等で現在の四国八十八ヶ所霊場のうち、23ヶ所の札所が弘法大師の頃から移転しているとのこと。しかし、権利を売買したのはここだけではなかろうか。  

 ちなみに高村逸杖は「巡礼」という言葉を使っているが、西国三十三カ所巡りが「巡礼」で、四国八十八カ所巡りは「遍路」というそうです。

 昔、八幡浜にはこんな出来事があったのですね。 37番札所が今も八幡浜市にあれば、八幡浜市を訪れる観光客層も変わっていたでしょうね。

 この「娘巡礼記」は2004年5月に岩波文庫から復刻販売されています。 史談会の方によれば、本は高群逸枝があとになって思い出しながら書いたもののようで、遍路の途中で「九州日日新聞」に郵便で記事を送って新聞に掲載された内容とは少し異なっているとのことでした。

 By 「ひとりしずか」でした。


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コメント
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dot 2014.09.02 10:44 | 編集
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dot 2015.02.22 12:59 | 編集
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